2002/01
  台北(台湾)ツアー

 
01/24 市内観光、小籠包、満漢全席(1)
福華大飯店
 この日の朝、自分は目覚まし時計を5時45分にセットしておいた。7時には朝食を食べに行きたかったので、念の為にショーゴの携帯電話のアラームも6時半にセット。ところがこの日に最初にアラームが鳴ったのはショーゴの携帯電話のアラームだった。時差を計算せずに6時半にセットしたので、現地時間の5時半には携帯電話のアラームとは思えないほどの大音響で自分は跳び起きた。ショーゴを起こして、なんとかこの大音響を止めさせる。あたりはまだ薄暗い感じだったので2度寝に入り、結局ちゃんと起きたのは6時半過ぎ。

 朝食はホテル2Fのレストランでのバイキング形式。自分は早く食事を済ませて、部屋で落ち着く時間が欲しかったし、ショーゴも朝風呂に入るというので、ギリギリまで寝ていて食事がてら集合場所のロビーに行くと言うシマと伏見とは別々に食事をとることに。
 レストランのオープンは7時。自分にしてみると今日のホテル出発が8時半なので、それでも時間的余裕は少ないと感じていて、6時半位からオープンしてくれていると混雑もしないだろうし嬉しい。ショーゴと共に7時少し過ぎに2Fのレストランへ行くとまだ閑散としていた。早速窓側の席を陣取り、バイキングスタイルなので自身での料理をとりに行く。料理は和洋中折衷といった感じで、十分満足出来る種類の料理が用意されている。特に珍しかったのは、朝食なのにスモークサーモンや鰻が用意されていて、焼餃子はシェフがその場で焼いてくれる。オムレツに関しても、中身の具を選ぶと同様にシェフが調理をしてくれて出来たてを食べることが出来る。春巻、蒸し餃子、ゴマ揚げ団子、お粥などもちゃんとメニューにある。更に日本人向けに白米飯、梅干しや漬け物なども並んでいる。白米飯は日本と同じような短粒米のようだが、多少パサパサしているとのこと。
 フルーツは台湾バナナは勿論のこと、スイカ(西瓜)やメロン(香瓜)など馴染み深い物から日本では滅多に食べることが出来無いスターフルーツ(楊桃)レッドピターヤ(火龍果)など数種類が用意されている。レッドピターヤは、白い実に黒ゴマゴマのような種が入っていて、見た目もユニークなフルーツ。

福華大飯店でのバイキング朝食の写真はこちら

 食事を済ませると一旦部屋へと戻り、ショーゴは朝風呂、自分は集合時間までの30分余りの時間をゆっくりと過ごす。そして集合時間の8時半に1Fロビーへと行くとシマが入口付近で待っていて、
『みんなもう集合してるよ。』と教えてくれた。集合時間の8時半前にロビーに着いた筈なのに、他の旅行参加者たちはとっくにバスに乗車して自分たちを待っているらしい。急いでシマの後に続いて素知らぬ顔をしてバスへと乗り込む。


龍山寺
 自分たちがバスに乗車して、既に定位置となっている最後部席に座る。それから間もなくして添乗員が人数を数え始め、全員が乗車していることが確認出来ると2台のバスはホテルを出発する。この日は1日団体行動となっていて、市内観光と企業訪問をする予定になっている。バスが走り出すとすぐに昨日と同じ現地ガイドが今日のスケジュールの説明に入る。

 バスは台北市内を走って行く。丁度通勤時間と重なっている為だろうか、原付バイクが山のように走っている。その数と言ったら、想像を絶する。信号待ちなどに出くわすと停車している車の前に車線一杯バイクが並び、その後方までも車の隙間をぬうようにしてバイクが並ぶ有様だ。道路脇にも日本の放置自転車を超える数のバイクが人の通行の邪魔になる位、至る所で駐車をしている。台北でここまでバイクが普及したのには駐車料金が高額だかららしい。バイクならば、無料の駐車スペースも行政で用意しているし、道端に駐車も当たり前のように出来るから、これだけ普及したのだろう。また台北ではタクシーの台数も異常に多い。こんなにタクシーがあって乗車する人がいるのだろうかと思うほどだ。
 幹線道路は日本よりも広く整備されている。一方通行7車線なんて道路もあり、ルート毎に車線もきっちり決められているのには驚く。ただ道路は非常に混雑していて、その点は日本の大都市と似ている。車の運転は見る限り、荒いように感じる。特に驚いたのは、脇道から出てくる車やバイクはバスの横の車線でない場所からバスの通過中にもかかわらず、飛び出してくるし、割り込みも非常に多い。

 この日、最初に訪れたのは龍山寺(ロンサンスー)と言う仏教寺院。この龍山寺のある万華地域は、昔は台北で最も賑やかだった場所だときく。現在台北でも若者たちが多く集まる西門町の繁華街を南に1Kmほど行った場所にあるが、龍山寺付近は漢方薬店街、貴金属店街などを付近に抱えているものの寂れてしまっているらしい。治安も余り良いとは言えないようだ。龍山寺内でもスリや置き引きに注意するようにと現地ガイドから説明があった。

 龍山寺は大変混雑している。正面入口にあたる山門付近では白タクの運転手思しき怪しげな男たちが数人にいるが、基本的には旧正月を前に信仰深くお参りに来ている人たちばかり。
 1738年に建てられた寺院は、第2次世界大戦などで建物自体が消失しているが、信仰深い人たちの寄付によって再建された。真紅の屋根に金色の派手な装飾は日本の寺院にはない雰囲気で、如何にも中国の寺院と言った感じがする。

 正面の三川殿で皆で交代で写真を撮っているといつのまにやら自分たちの参加している団体は本殿方面へと移動していた。置き去りにならないように混雑する中、急いで団体の後を追う。
 圓通賓殿と呼ばれる本殿では観世音菩薩が普賢菩薩、文殊菩薩の真ん中に奉られていて、黒い法衣に身を包んだ人たちが一所懸命お経をあげていたり、この他に奉られているや本殿の裏手にある文昌帝君殿、天上聖母殿、關聖帝君殿などに長さ30cmはあろうかと思われる線香を持って、1カ所ずつお参りをする人などさまざま。

 それぞれお金持ちになれる御利益だったり、恋愛が成就する御利益だったりして違っている。特に恋愛から遠ざかっているショーゴは、恋愛の神様があると聞きつけると真剣にお参りをしていたのが笑える。
 団体が移動を開始して停車しているバスへと移動を始める。ここでも写真を撮ったり、しつこく恋愛運の神様に祈りを続けているショーゴを引っ張って、自分たちもバスへと戻る。
 龍山寺での観光時間は20分ほどしか無かったが、特にお土産屋と言った場所も無いので、さっと見て回るのには丁度良い時間なのかもしれない。こうして台北の浅草とも言える下町に建つ龍山寺を後にする。


中正紀念公園
 続いて、中正紀念公園へと向かう。龍山寺からは1.2Kmほどしか離れていない。広大な敷地は元々国民党政府の秘密警察関連があった場所らしい・・・。

 ここで台湾の歴史について触れなければならない。第2次世界大戦終戦までの50年間は台湾は日本の統治下にあった。日本は台湾開発に力を注いでいたという。現在の台北の街造りの基本も日本の功績が高いと言われている。それ故に台湾では60歳以上の老人達は、日本統治時代に日本語教育を受けてきたので日本語を話すことが出来るわけだ。但し、強制的な日本的な名字への改名なども行われていたようだが。
 その後、混乱する中国大陸では毛沢東率いる中国共産党、蒋介石の国民党が激しく戦い、結果として国民党が中国大陸で敗北して遷都という形で台湾へと大移動してきた。ところが台湾は元々本省人と言われる台湾生まれの人たちで占められていた島。そこに外省人と呼ばれる中国大陸の人たちが蒋介石と共にやって来る。
 ネイティブな台湾人(本省人)たちは、日本統治時代をそれ程悪い時代と思っていないようだが、国民党による独裁政治以降には拒否反応を示す人が多いときく。実際に蒋介石の独裁は、外省人を優位な位置づけとして、本省人には厳しく辛いものだった。また日本統治時代の文化に対して、蒋介石自体が非常に敵視していたとも言う。そんな中で発生した近代台湾での最悪の粛正と言われている2・28事件が起こってしまう。
 それからも蒋介石による独裁政治は続いたが、世界情勢の方がめまるぐるしい変化を見せた。中国の国連加盟と共に台湾の国連脱退。国民党による弾圧、恐怖政治も世界世論、特に強力な支援をしてきたアメリカの圧力もあって変化をする時が来た。1975年の蒋介石の没後、実子の蒋経国が政権を継ぐが1988年に病没、運良く政権を握ったのは一種の傀儡的に置かれていた副総裁(副総裁は本省人がなることになっているらしい)だった李登輝。この李登輝が独裁的な国民党一党支配に終止符を打ち、現在の自由な台湾へと開放していった。また自由な台湾の政策は、民進党出身の陳水扁現総裁にも引き継がれている。

 大忠門前バスを降りると現地ガイドを先頭に50人の団体が真正面に見える高さ70mある中正紀念堂(ツォンチョンチーニェンタン)へと向かう。この建物の1階には蒋介石時代の記念の品の陳列、当時の総統室を再現したブースなどがある。展示物の中には総統専用車だったキャデラックなどのリムジンも2台ほど展示されている。

 エレベータを利用して2階フロアへと移動。そこには6.3mある蒋介石の銅像がこの公園の正門にあたる大中至正門方面に向かって鎮座している。銅像の前に立って大中至正門方面を臨むと、幅40mの瞻仰大道が正門まで約500m続く。また瞻仰大道から蒋介石銅像までの階段は89段あるが、これは蒋介石の没した時の年齢と同じ。
 大中至正門の左右には1987年に完成した、廡殿様式の国家戯劇院と歇山様式の国家音楽廳の大きな建物が並んでいて、太極拳をやっている人たちなども多く見掛ける。以前は恐怖政治の象徴だった場所が、今や台北市民の憩いの場所となっている。

中正紀念堂のオフィシャルサイト(繁体字中国語)



会社訪問
 大忠門から中正紀念公園に入った自分たちは、中正紀念堂を挟んだ反対側に位置する大孝門から外へと出る。龍山寺同様に、この公園もさっと流した感じだ。中正紀念堂内には、結構見どころもあったようなので、もう30分位は欲しかったと言うのが正直なところ。

 外に出るとすぐにバスへ乗って、今回の台湾訪問の目的とも言える会社訪問へと向かう。市内に自社ビルを構えるこの会社は国際的企業の現地法人で、誰もが会社名は知っているだろう。会社訪問では、オフィス見学などがあるのかと思っていたら予想に反して、その会社の台湾での実績の説明や国際社会における現在の台湾の位置づけなどについて、日本から出向で出向いている現地法人の社長から説明を受ける。この時、プロジェクターやコンピュータを駆使して説明が行われたのだが、自分の前席に座っていたショーゴは確実に寝ていた。そのことをシマと一緒に追求すると、ショーゴは必死になって、
『僕は寝ていませんよ。』と否定。寝てないと言うわりには、頭が定期的にコックリ、コックリしていたんだけど。

 訪問した会社は、環亜大飯店(Asia world hotel)の近くだったと思うので、松山空港の南側にあたる場所だと思う。宿泊している福華大飯店頂好の街からもほど近い場所だ。


鼎泰豐・小籠包/頂好
 会社訪問していた1時間半にも満たなかった。11時半にはバスに乗り込んで昼食へと向かう。この日の昼食は、小籠包。しかも台北でもダントツの人気を誇る鼎泰豐(ディンタイフォン)。本店は中正紀念堂の東側にあるようだが、この時向かったのは、台北で新興の繁華街と言われている頂好の店。場所はMRT忠孝敦北駅から忠孝東路を東に歩き、阿波羅大厦の角を右手に曲がってすぐの場所にある。
 この鼎泰豐(ディンタイフォン)は値段は決して安くないと言われている。台北の普通のお店で食べる小籠包は、1つあたり5〜6NTドルなのに対して、この店では20NTドルもすると言う。それでも現地の人たちも絶賛されていて、昼時になると30分待ちは当たり前のことらしい。

 予め団体で予約をしてあった為、待たされることもなくすぐに店内に案内された。まだオープンして間もないのか、とてもきれいな店内。店員の案内に付いて行くと、50人以上の団体だというのに、どう見ても定員オーバーなテーブルに分かれて詰めて座らされた。この時、遅れてきた自分たちは見事に分かれてテーブルにつくことに。清水さんとコージ、自分と伏見、シマとショーゴと言った具合にだ。しかも自分と伏見のテーブルには、おじさんとおばさん(おじいさんとおばあさん?)のグループにポツンと座った為、食事が終わるまで非常に肩身の狭い思いをする羽目になった。
 だが自分たちがテーブルについて間もなくすると、それまではまだ空席もあったテーブルがあっという間に満席。ガラス越の外には早くも順番待ちの行列まで出来ている。満席になると店員たちも非常に慌ただしく動く。またこの店では、厨房がガラス張りになっていて、中の様子を見ることが出来るのだが、小籠包を作る10人以上は居ると思われる調理人たちも休む間もなく、厨房内で働いている。

 席についてもなかなか料理が出てこない。テーブルに出されたのは、キャベツの漬け物とビールだけ。自分と同じテーブルに座るおばさんの1人はブーブー文句を言い始めている。これを見て、自分と伏見は『イヤだなぁ〜。』と思いつつも周りに座る人たちは自分たちより3回りは軽く年上の人ばかりで話す相手などおらず、お互いに顔を見合わせているだけ。
 最初は出ない出ないと思っていた料理だが、いざ出され始めると一気にテーブルへと運ばれる。店員たちは、蒸し籠に入れられた料理をテーブルに置く際に、1人何個ずつかを片言の日本語で伝えていく。それを聞いた先ほどのおばさんがこのテーブルを仕切はじめ、テーブル中に聞こえるような声で同席している人たちに伝える。親切でやっているんだろうけど、『みんな聞こえてます。』と心の中で言った。
 料理は酸味の効いたスープから始まり、エビ焼売、蒸し餃子、小籠包、青野菜炒め、チャーハンなどと続いて行く。小籠包は、最初1人2個ずつだったのだが、食事も終わりに近付いた頃になって再び運ばれてきて更に4個ずつ食べることになった。現地ガイドも美味しい美味しいと言っていたので、この小籠包を楽しみにしていた旅行参加者もいたと思う。満腹に近い状態で再び運ばれてきても食べられずに惜しい思いをした人もいることだろう。特に自分たちのテーブルは、高齢の人たちが多かったので小籠包も残ってしまっていた。
 そこで登場するのが清水さん。残った小籠包を次々と食べて行く。自分や伏見でさえ、自身の分を食べるだけ満腹になってしまったのに、清水さんは人の残した物にまで手をつけるとは恐ろしい。他の人たちがテーブルを立っても、まだ小籠包に執着していたのは立派としか言いようがない。鼎泰豐の従業員たちもさぞかし喜んだことだろう。
 この鼎泰豐小籠包だが、自分が思っていたよりも中身は引き締まった感じだった。包んでいる皮を破るともっと沢山の肉汁が出てくるものだと思っていたが、その量は意外にも少なかったから。それでも出来たてホヤホヤの名物の小籠包はおすすめの一品と言える。
 鼎泰豐は、パッケージツアーでの観光コースにもなっており日本客の来店が多いことから、言葉の問題は気にしなくても大丈夫だろう。また東京、横浜、名古屋の高島屋デパートに、日本支店としてレストランや売店が出店している。

鼎泰豐での昼食の写真はこちら

 食事はちょうど1時間で終わる。外に出ると頂好の賑やかな街並に向かって少し歩く。MRT忠孝復興駅からMRT國府紀念館駅までの約1Km間、忠孝東路に沿ってそごう百貨店、明曜百貨店などのデパート、ベネトンやESPRI、アディダスなど多くの専門店、レストランやカフェの並ぶ場所。 台北では比較的大人向けのお洒落な街なのではないだろうか。ここでは自由行動は無く、バスに乗り込んで次へと移動。


茶藝店
 本来なら昼食の後は、忠烈祠(ツォンレイスー)衛兵交代を見に行く予定だったが、この衛兵交代は毎正時に行われる為、今から向かうと非常に中途半端な時間になってしまうと言うことで観光ルートの入れ替えがされることになった。その説明の際、現地ガイドが
『お茶博士のところに行きます。』と連発している。お茶博士って何者?
 謎のお茶博士が居ると言われる茶藝店は、台北駅から北東に1.5Kmほど向かった三国志の関羽を奉る行天宮(シンティエンゴン)にほど近い大山茶藝教室と言う店。ガイドブックなどには紹介はされていない。また何の変哲もないビルの地下に店を構えている ので一般の人は判りにくいだろう。自分たちが階段を下っていくとお茶博士が待ち構えていた。
 日本を堪能に喋り、写真を見せてお茶の種類を早速説明。それを時折頷きながら聞いている旅行参加者たち。お茶の種類の説明が一通り終わると、全員を椅子に座らせて上級茶葉を使った烏龍茶の入れ方、そして本場のお茶の素晴らしさを身振り、手振りで力説している。ここでも、一所懸命お茶博士の話に頷いている。よく見ると自分の真正面に座っているのはコージじゃないか!!
 またお茶博士がいれた烏龍茶は全員に振る舞われる。約15分に渡る烏龍茶の説明の後、お茶博士は本題に・・・。本題と言うのは、ズバリお茶の販売。お茶屋なんだから売るのは当たり前のこと。お茶博士は、まるでジャパネットたかたのように、
『この烏龍茶は5袋で10000円。5つ買った人には、もう1つ付けますね。』と言って旅行参加者たちに売り込みをする。旅行参加者の1人が財布から1万円札を出して買い始めると、面白いように他の人たちも買い始める。シマと伏見は共同で10000円分購入して、3袋ずつ分ける作戦。ショーゴに至っては烏龍茶葉だけでは飽きたらず、お茶博士がデモンストレーションで使用していた1人用茶器セットまで買いたいと言い出す始末。そのショーゴの上を行くのがコージ。なんと両手で持ちきれない程、烏龍茶葉を買い込んで明日ホテルに届けて貰うとのこと。それを聞いた自分は、
『お茶の産地の人間が、土産にお茶買っていてどうするんだよ。』と皮肉る。
 結局このお茶博士の店で、仲間内の中でお茶を買わなかったのは自分だけだった。添乗員の無い自由旅行の多い自分にとっては、買い物は自らの足を使って出向いた店で買うことがステータス。添乗員に連れて行かれ、日本人観光客目当ての店でいとも簡単に買い物をしてしまうことは出来無かった。
 ここでフォローをしておくと、現地ガイドは非常に気さくで親切。このお茶屋に観光客を連れて行くことで、バックマージンなども多少あるだろうが、決して高くて不味いお茶を売る店に連れて行って、後々まで評判を落とすようなことはしないだろう。


 
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