1998年3月


土地探し
  こうして皆で市内にあるマイホームセンターへ足を運ぶ機会が97年11月から増え始めた。 住宅会社の営業も必死に電話攻勢を掛けてくる。ところが話をきけば、 結局は土地が決まっていなければ、プランも出すことが出来ないと言うパターンが殆どであった。

  そんな中で土地が決まっていないにも関わらず、 参考にとプランを出してきたのは地元の住宅会社と地元中堅住宅会社が各々1社ずつだった。

  そして12月になると仲介の不動産会社も話に加わり、新しい土地の情報が定期的に送られてくるようになった。 父親、姉夫婦は新しい土地を市内に希望していた。静岡の人というのはよく保守的と言われる。 この歴史を辿ると徳川家康の時代まで遡ってしまうので割愛するが、静岡市の住民は市外へは出たがらない。 それは静岡から西に向かうには、安倍川と宇津ノ谷峠と言った難所があり交通の便が良くない事あるだろう。 静岡の東に位置する清水市は交通の便は良いものの、静岡よりも土地物件が出てこないのが現状である。

 家族の大半が市内を希望するのに対し、私はあくまで焼津方面を希望していた。 と言うのは、現在実家のある場所は既に住宅に囲まれている。 それにこの場所に当時(30年ほど前)に家を建てた時に、先住人達に嫌な目に遭わされていた事も知っていたからだ。 動物も居ることだし、どうせならのんびりとした場所に住みたいというのが希望だったのだ。

  だが現実は甘くなかった。実際に焼津方面に土地を見に行ったが、のんびりとした場所は確かにあるのだが一面田んぼで、 買い物などには非常に不便な場所なのだ。両親は自動車の運転が出来ないのでこれは酷である。 また比較的新興住宅地だと今度は土地の値段がグンと上がってしまう。これでは静岡市内と余り変わりない。 中途半端な場所だと、今後区画整理等が予定されていたりと色々である。

数々の問題浮上
    そして次第に土地情報は静岡市内の物が多くなってくる。だがそれについて誰も何も言わなかった。 と言うか、皆が希望する約100坪の土地はそうそう出てくる物では無かった。

 そうしている内に97年も終わりに来ようとしていた。私は、 ”海外旅行のアルバム”でも記載しているように年末からシドニーへと向かうことの方が重要となってきた。 ひとまずは土地について休憩を入れることになった。

  当初98年の成人式過ぎには再び土地について色々と探し始めようという事だったが、 1月12日早朝、母親方の祖母が亡くなった。祖母は母親の弟が1人で面倒を見ており、 愛知県の田舎という事もあって、家族総出で祖母の家へと向かった。 だが私達夫婦以外の家族は1月15日から香港への旅行が決まっており、13日お通夜、 14日葬式と済ませ、15日には名古屋空港から香港へと向かっていった。

  土地について急変したのは1月の後半になってからである。 この頃になると父親が回りの状況に目もくれず、1人で先走る行為が目立つようになる。 正直言って、姉夫婦も私達夫婦も皆会社員をしている事もあって、 定年退職をした父親のように暇では無い。にも関わらず、 執拗なまでに土地の話を持ってくる事に対し、嫌気がさすようなったのである。

  また時期を同じくして、姉の会社にも大きな動きがあった。 働き手4人の中で一番稼いでいる姉の会社が営業所統廃合を通達してきたのだ。 姉自体は暫くは勤めたいと希望しているようだが、 3月には2人目の子が産まれるため産休に入るので会社の問題については棚上げとなっている。 そんな中で、私と母親は何か嫌な予感を抱くようになり、 今年は土地問題を流した方がいいのではないかと思い始める。

  そしてまた父親が新しい土地情報を入手して来た。今回の土地は相当気に入ったらしく、 しつこさも増してきている。だが、実際にその土地を見に行くと意外にも悪くは無かったのである。

  この土地については、トントン拍子で話が進み、 実際に現在所有している不動産会社と話し合いを持つまで進んだのである。 だが、その不動産会社に行ってビックリした。今回、この土地に関して2社の仲介業者が入っていたのだが、 所有している業者がこの事を気に入らなかったのか、とても横柄な態度だったのだ。 その話し合いに私は同席したが、その態度を見た途端にこの話は流すと決めた。 話し合いは険悪な雰囲気で進んだが、時間が経つに連れて少しながら穏やかに雰囲気になった。 業者から提示された金額は、皆で上限と決めていた金額よりも100万ほど高かった。 もしこの上限以上であったら、今回の話は流すと言うことも決まっていたにも関わらず、 父親が100万円を自分で負担するので決めようと言い出したのだ。これには呆れた。

  結局、仲介の不動産業者が所有者の業者とうまくやっていく自信が無かったのか、 この物件から降りたいと言い出したので父親も渋々この物件を流すことに承諾した。


土地決定
  今回の土地の話が流れたことで、暫くは静閑な時を送れると思いきや、 父親が以前に候補に挙がった土地が価格を下げてきた事に好感を抱く。 確かに静岡市内で割安でいい場所の土地は他には無い事は事実である。 だが私達夫婦はこの土地については決めかねていた。確かに通常の市内の地価に比べ4割も安いのである。 だが回りは借家に囲まれている事が将来的な不安を抱かせた。

  そして祖母の最初の法事の為に家族揃って、愛知県へ行った晩の事である。 父親が例の如く、土地の話をしきりに話していた。こちらとしては、 高速道路の運転もしてきたのにも関わらず、そんな話を聞かされるのはウンザリである。 あまりにしつこいので、私と父親は言い合いとなる。それがだんだん大きくなって口喧嘩に発展。 父親曰く、私が全くこの土地問題でやる気を見せないと憤慨している。他の家族は、 みな意見を出し合っているにも関わらず、私達夫婦のみ意見を投げかけてもフィードバックが無いとの事。 それを聞いてこちらも黙っていられず、では他の家族達が本当に意見をだしているのかその場で確認。 しかし本音のところ、父親以外の誰一人、今回の土地問題に明確な回答はしていなかった。 確かに父親が候補となっている土地を一所懸命昼夜問わず見に行っていることは知っているが、 皆のペースに合わせることも無く一人歩きしているのは事実だ。にもかかわらず、 一方的に責め立てられたことに対して不快に感じ、家族の意見が全くまとまっていない事を盾に対抗した。 最終的に義理の兄が仲に入る形で、土地についてはそれぞれが翌週までに可否を回答する事になった。

  翌週になり、土地の話をする際に再び父親と喧嘩となる。母親も普段は私に対し不満を漏らすが、 父親の前で直接言うことは少ない。たまたま日中に私から逆に母親に父親に対しての不満を話した。 それを聞いて、母親が父親を諫めたのだが逆効果。夜になって父親と私とでまた言い合いとなる。 ところが今回は姉、母親共に私の援護射撃をしたことで2人共落ち着き、冷静に話をすすめる事が出来た。

  そして100坪の土地を購入することが決まった。この時、 父親が家に関しては自分は口を出さないと明言した。これは守ってもらいたいものだ。


業者選定へ
  2月も半ばを過ぎ、住宅会社選定に向けて家族での話し合いが始まる。住宅も従来型の木造、 パネル工法、2×4工法、重鉄骨など数々の種類がある。こんな中で我が家選択したのは、次の業者である。 ・大成住宅
・三井ホーム
・地元住宅業者1
・地元住宅業者2
・ミサワホーム
・ミサワセラミックホーム
・セキスイハイム
この中で大成住宅から地元業者までが姉夫婦、ミサワホーム以下を私達夫婦で受け持ちすることとなった。


ヒヤリング
  3月6日。先陣をきって大成住宅が実家にやってくる。大成住宅は、 この住み替えの話が浮上した時点から有力な候補の1つとなっており、以前にも家に訪れた経緯がある。 今回はまず住宅を建築するにあたり。住宅公庫や厚生年金で借り受けできる金額や、 その条件などを聞く事もあった。3世帯で如何に安く、かつ効率的に借りるかが今回の住宅建築で大きなポイントの1つだ。 大成住宅が言うには、建物の所有をきっぱりと姉夫婦、私達夫婦と分ける事で可能だという。 また税金の控除も、建物がその条件を満たすことで受けることが可能であることが確認できた。 こちら側としては建築の予算は敢えて言わなかったが、自己資金と借り入れ、 月額の支払い金額から今回の総費用は、大成側でも把握したようである。

  3月7日。この日は、私達の住むアパートにミサワセラミックがやってきた。 前日にある程度聞きたい内容は確認とれたので、こちら側としての要望する部屋数、広さなどを伝える。 前日の大成住宅は、シドニーに出かけていた母親以外の全員が話しに参加したが、今日は私達夫婦のみである。 時を同じくして、実家の姉夫婦の所へ、地元業者2がヒヤリングに来ていた。 この地元業者2は、土地の購入の関係で見積だけでもという事で今回の合見積に参加することとなった。

  更にこの日の晩に姉夫婦の所に三井ホームが訪問。 現在住んでいる家が三井ホームという事もあり、この業者選択に残ったと言える。 確かに三井ホームの家は、カナディアン風を打ち出していてセンスも良く、ブランド的要素も持ち合わせている。 だが今回の皆の要望に沿える住宅のシリーズを持ち合わせていないように思える。

  3月8日。この日も落ち着いた1日では無かった。3月となり、仕事、私事共に忙しい日々が続いている。 正直言って気の休まる日は無いに等しい。午後2時過ぎになって、思い立った様に夫婦でマイホームセンターへ出かける。 大成住宅の内装を再度確認しに行くことと、ミサワホーム、セキスイハイム両社に打ち合わせの打診をする為でもある。 この両社でミサワホームについては既に営業担当が決まっており、実際にあってアパートへの訪問日を決める。 セキスイハイムについては、一種の飛び込みに近い。 以前に違う営業所の担当から電話をもらったことがあるが、その後音沙汰が無い。 それもマイホームセンターの営業にきっぱりと伝えた。私自身が営業と職種であり、 物事ははっきりと言われる方が相手を理解しやすいと判断している為だ。この2社と話をした後、 大成住宅の2つの展示ホームを見て回る。やはり、マイホームセンターで展示用として建築してあるだけあり、 敷地を存分に使い、調度品も豪華で、無駄と思えるほどの建物となっている。これを見て、 我が家も同じように建つと錯覚に陥り気味だが、あくまで我が家はこの様にはならないと自分自身言い聞かせる。 だが、トイレやユニットバス、各部屋への入り口、部屋の並び、水回りの位置など勉強になることはたくさんある。

  3月10日夜。ミサワホームがアパートへとやってくる。 事前に簡単にこちらの要望を伝えていたので、打ち合わせはそれほど長引かない。 ただ買い手のこちらとしてちょっと不安だったのは、価格が見合わなければ諦めますみたいな事を前回も今回も発したことだ。 確かにこちらの予算を読み切ったのかもしれないが、現在住宅会社での建築費は超メジャーブランドで無い限りは大差無いはずだ。 他社が何も言わない段階からそんな弱気では困ったものである。

  またこの夜、ミサワセラミックから電話がかかってきた。ここの担当は他社に比べて若いが、 一所懸命という感じは伝わってくる担当である。で、是非とも家族全員の話を聞きたいと切り出してきた。 だがそれについては断った。最初の話し合いで姉夫婦、私達夫婦それぞれ案を摺り合わせし、 第一段階ではそれぞれが受け持ちの業者と代表として話をすることになっていたからである。 それについては、第二段階でとこちらが話をすると相手は納得した。 またこのミサワセラミックが他社と違うのは、3世帯3階屋上付きの家を勧めたがらない事である。 またしきりに将来的なビジョンについて話をする点である。これについては、 次回訪問の際にでもキッチリ聞いてみたい。

  地元業者2が早速プランを実家の方に持ってくる。残念ながら今現在、その内容を見てはいない。 だが電話で確認したところ、義兄が素人なりに作ったプランと余り変わっていないそうである。 またエレベーターについてもプラン上から外されている事に皆は不満の様である。

  翌週になって、数社が動きを見せる。まずはミサワセラミックである。 この日に持ってきたプランは意外にも2軒の住宅であった。以前からこの担当は3階建てには反対していたこともあり、 自分の意志を貫き通した感じである。言っている事は尤もであるが、今現在我が家族では3階建てで話はまとまりつつある。 それに対して、フライングじみた行動はちょっと許されないのが本音のところである。一応、家族にこのプランを見せることを約束。

  これと時を同じくして、実家の方には大成住宅が3階建てのプランを提示していた。 流石にこの構想があがった当時から営業をかけていただけあり、ある程度的を得た内容を提出してきた。   その週末、家族全員で大成住宅の実際の建てられた住宅数軒、地元業者1、またまた急遽話に入った地元業者3のモデルハウスを見学。 この地元業者2社は、マイホームセンターにモデルハウスを展示していない。共に輸入住宅である。 あくまで参考と言うことで見に行ったわけだが、今回はこの様な輸入住宅を建築するわけでないので余り参考にならないと言わざるをえない。

  この見学時に2軒の建築について話をするが、母親、姉に一蹴される。

  週が明けてセキスイハイムがアパートに訪問してくる。今回の要望では3階建て屋上付きを要望しており、 以前にマイホームセンターで確認の際は、6月頃には屋上付きが発表されるので商談をすすめることは可能と聞いていた。 ところが今回やってきた営業は非常に慎重で、まだ正式でないので話をすすめる事は危険と判断したようだ。 一通りの事をヒヤリングして、屋上については別途回答となった。

   

見積提出始まる
  各社の一通りのヒヤリングが終了し、質問事項の再確認、見積とプランの提出が本格的に始まる。 大成住宅がプランの再提出、三井ホーム、地元業者3がファーストプランと見積提出を始めた。 ところが私達夫婦が担当している住宅会社の方は最初の打ち合わせが遅かったせいか、 まだ一社も見積が出ていない。

  そして週末になって、ミサワセラミックから電話が入る。今回の私達家族の要望を伝えると、 それから2時間もしないうちにアパートへとやってくる。私達の要望通りでないのであるならば、 今回の物件からは降りて欲しいとまで伝えるが、一向に意志を変えるつもりは無いようである。 確かに今回の住宅建設への真剣さは感じることが出来るが。

  この夜、実家にて話し合いを行う。3階建てと2軒の両方を検討できないかと伝えるためである。 この夜、出かけていて居ない父親を除く、実家側全員が遅すぎる、庭が狭くなるとの回答である。 確かに今更の気はしないでもないが、将来の子供の世代はどうすべきかは明確な答えは出てこなかった。 一応、2軒の建築についても検討課題とする事にはなったが、真剣に取り組むつもりは全くなさそうである。

  またこの夜に見せて貰った地元業者1のプランだが、なかなか的を得ており好感が持てた。 私達夫婦からはほんの数分しかヒヤリングしていないにも関わらず、なかなか要望を満たしている。

  翌日、大成住宅の案内でシステムキッチンを見学する為に、タカラ、サンウェーブへと女性陣と義兄が向かう。 私はここ数日の仕事の忙しさから、この見学は辞退させてもらった。 女性にとっては、キッチンというのは出来る限りいい物にしたいという願望があるに違いない。 私達夫婦の場合、キッチンについては一切口を出さないことにしていたので、 行かなくて丁度良かったのかも知れない。

  そうしているうちに私達夫婦にアクシデントが発生する。1つは私自身の仕事である。 もう1つは、妻方の母親の緊急入院であった。 特に後者については、この住宅計画を中断するまでに至った。 実家の方は、この間も順調に各社との商談をすすめていた。私達の方がミサワホームから電話があったが、 プラン提出を遅らせてもらう事にする。 セキスイハイムにも同様な話したがプランだけは届けて貰う様に依頼をする。 こうして3月はあっという間に過ぎていった。